俺の映画、「アルプススタンドのはしの方」
どうも、ご無沙汰してます。tonマです。
突然ですが「好きな映画」はありますか?
多分、一人一人思い浮かべた映画が色々あると思います。ジャンルもバラバラでしょう。
僕も20本くらい「好きな映画」はあります。
では次に、『自分の映画』はありますか?
(『自分が作った映画』ではないです)
一般的な評価軸とは完全に独立した、自分という個人にピタリとハマってしまう作品。
「俺がこの世で一番この映画を楽しめるんじゃないか」とか「誰かが俺の為に作ったんじゃないか」と錯覚してしまうレベルで自分のパーソナルな部分に響く作品。
多分「好きな映画」と比べて殆ど見つからないんじゃないでしょうか?
僕は2本だけしか出てきませんでした。
今回は俺が新しく出会えた『自分の映画』
「アルプススタンドのはしの方」
についての話です。
(もう1本のほうについてはまた今度)
僕がこの映画を映画館で見たのは2020年8月20日、高校3年生の夏休みも終わる頃。
本来なら、高3の夏なんてのは最後の文化祭やら大会やらに向けて、受験前に最後の「青春」を満喫する季節。
僕なんかは映像部のオタク野郎でしたが、映像部のオタク野郎なりに、最後の夏に「桐島」のように好きを詰め込んだ映画を作って文化祭で上映してやろう!
と息巻いていました。
そう、2020年の4月までは……
「ソレ」は大陸からゆっくりと侵攻してきて、日本社会を混乱の渦に巻き込んでいきました。
あのクソウィルスのせいで、我々の高3は2ヶ月遅れで始まり、そのしわ寄せによって、あろうことか我が校の文化祭は中止になり、夏休みは短縮され、密を避ける為に部活動は禁止。
僕の思い描いていた「夏」「青春」は音を立てて崩れ去りました。
ただでさえ、人並みの青春を送れなかった僕が、唯一見つけた居場所であり、溢れんばかりのフラストレーションやらエネルギーやら性欲やらをぶつけられたのが部活動であり、映画制作でした。
初めて作品を作って上映した高2の文化祭。
同級生からは「よく分からない」
先生からは「tonマくんらしいね(笑)」
散々な言われようでした。
それでも僕の心は達成感で満ち満ちており、至らなかった部分は来年挽回し、集大成を見せつけてやろう!!
ずっと前からそう思っていたのに…
完全に不完全燃焼の夏、受験勉強に頭を切り替えられるほど現状を割り切れなかった僕は、敬愛する宇多丸師匠がラジオで紹介していたある1本の映画を観に行きました。
それが「アルプススタンドのはしの方」
アルプススタンドはしの方のあらすじ
第63回全国高等学校演劇大会で最優秀賞に輝いた、兵庫県立東播磨高等学校演劇部による戯曲が原作の青春ドラマ。
(中略)
高校野球、夏の甲子園大会。夢破れた演劇部員の安田(小野莉奈)と田宮(西本まりん)、遅れてやってきた元野球部の藤野(平井亜門)、成績優秀な帰宅部女子の宮下(中村守里)が、アルプススタンドの隅で白熱する1回戦を見つめていた。どこかぎくしゃくしている仲の安田と田宮、テストで学年1位の座を吹奏楽部部長・久住(黒木ひかり)に奪われてしまった宮下、野球に未練があるのか不満そうな藤野。試合の行方が二転三転するに従って、彼らが抱えるさまざまな思いも熱を帯びていく。
参照:
アルプススタンドのはしの方 (2020) - シネマトゥデイ
上映が始まって10分後、僕は確信しました。
「これは、自分の映画だ…」
自分達ではどうしようもない状況で、夢を諦めるしかなかった彼ら。
そもそもマウンドにすら立つことのできなかった彼ら。
欲しかった物を何一つ手に入れることの出来なかった彼ら。
彼らは完全に「今」の「自分」でした。
そして物語は進んでいきます。
最初は惰性で眺めていた野球の試合、しかし、お互いの胸の内を吐露し、それぞれの想いが交差していく中で、少しずつ試合の熱気の中に巻き込まれていく彼ら。
目の前で繰り広げられる諦めないもの達の姿に自分達を投影し、身を乗り出して声を張り上げ、涙を流す応援席のはしの方の
彼らは諦めきってなどいなかった。
試合が終わった後
どうしようもなく悔しかった。
その姿も完全に「今」の「自分」でした。
そしてエピローグ
5年後の未来
それぞれの形であの夏に抱いていた夢に近づいてる彼らの姿がそこにはありました。
それを見ている「今」の「自分」
そして最高の入りでのエンドロール
流れているthe peggiesの「青すぎる空」を聴きながら、僕はメガネを外していました。
ただどうしようもなく出てくる涙。
今の自分に「しょうがない」ではなく「あきらめない」と言ってくれた映画。
それはどんな大スクリーンで観るビックバジェットムービーよりも最高の映画体験でした。
今、自分がマウンドに立ててなくても、ステージ上にいなくても、好きな人の隣にいなくても、それは全然「しょうがない」なんかじゃない。成功するかしないかではなく、「やる」か「やらないか」なんだ。
空振り三振でも、送りバントでも、意味がなくても、不格好でも、やってやるんだ。
高3の夏、一生の内に出逢えるか出逢えないかの作品を劇場で観れたことが本当に堪らなく嬉しかったし、この作品が『自分の映画』と思えてしまうだけのモノがちゃんと自分の中にあった。それだけでも僕のやってきたことは無駄じゃなかったんだと思えました。
もし近くの劇場で上映していたら「アルプススタンドのはしの方」是非観に行ってください。
『ジョーカー』について
お久しぶりです。tonマです。
本当にこのブログの存在を最近まで忘れていました。
まぁ、その理由としては長文を書く理由がなかった。というのがあって…
何かに講釈垂れたかったらツイキャスやるし、一言二言レベルの愚痴だったらTwitterで事足りるよね。と言う事で放置してました。スマン。
でも今回このブログの残骸を引っ張り出してきたのは、文章で語りたい!語り合いたい!と思えるような素晴らしい作品に出会えたからです。
駄文かも知れませんがよろしくお願いします。
本題に入ります。
ブログを引っ張り出してきてまで語りたい作品とは何か。
それはズバリ
『ジョーカー 』
です。
ジョーカーと言えば、言わずと知れたバットマンの宿敵であり、ライバルであり、彼と対になる存在、人々を狂気に陥れ混沌を生み出すヴィランであります。
彼の行動原理はほぼ(作品にもよるが)意味不明。
一番有名なジョーカー登場作品である『ダークナイト』では、年齢も出自もなにもかも不明という解らない事尽くしのミステリアスな悪と狂気の権化、それがジョーカーです。
そんな彼の初となる単独主役作品(バットマンすらいない)で、更には彼のオリジンが明らかになるという事で、この『ジョーカー』公開前から話題騒然でした。
予告を見る限りだと、悲惨な環境に身を置く男が、社会の不条理に揉まれ、悪に染まり、ジョーカーとして開花していく…という印象を受けるので、ミステリアスな彼が好きな僕は、正直
「あの悪役には悲しい過去が」パターンか〜
と内心ハードルを激下げ、なんなら最初っからそういうスタイルの作品に対しての粗探しをしてやろう!ぐらいのテンションで行きました。
しかし、このジョーカー、いい意味で期待を大きく裏切ってくれました。
まず、冒頭の予告でもあった主人公アーサーが鏡の前でメイクをして口角を指で上げるシーン、からのこれまた予告であった路上のピエロパフォーマンス中に悪ガキにボコボコにされるシーン
この2つのシーンの順番が予告では逆転していて、ボコボコにされてから、狂気に陥ってからの口角指上げに見えたので、あたかも環境のせいで彼は歪みました感があったのですが、
本編初っ端から彼の狂気の笑顔を見せつけられて、「やっぱこいつ元からおかしいやつなんじゃん!」と内心ホッとしました。
そして、そこから主人公が突発的に笑ってしまう笑い病を患っている事、その病で昔は精神病院にいた事、売れないコメディアンである事、母との二人暮らしで家が貧しく社会的弱者である事、などの情報が提示されます。
ここの情報提示のシークエンスの中にも、彼の薄寒いお世辞にも笑えないようなジョークや、コメディショーの客席で、明らかに彼1人だけ笑いのツボがおかしいなど、従来のジョーカーらしさ(狂気)が散りばめられています。
ただ、今回がいつもと違うのは、そういった場面はあるものの、アーサー自体は
観てる人の同情を誘うよな、切なく、感情移入できるキャラ
にギリギリだけどそう見えるように描写されてます。(ヤバいやつってのは分かるんだけど)
しかし、そんな彼の生活に変化が訪れます。
彼が悪ガキに暴行された件を知った同僚の1人が心配して、彼に護身用にと拳銃をプレゼントしてくれます。
最初は拒むアーサーですが、それを受け取り携帯するようになります。
しかし、その拳銃をピエロの仕事中に観客の前で落としてしまい、それが原因で、彼はクビになってしまいます。
(ここでちょっと同僚の陰謀『ぽい』描写あり)
失意の彼は、その帰路につく途中の電車の車内で、持病の笑い病が原因で酔っ払いのサラリーマンにしつこく絡まれ、ついに彼は反射的に彼らを射殺してしまいます。
(ここ、最初の一発以外がヤケに冷静で、多分ジョーカー知らない人も「アレ?」ってなる)
(さらに言うと明らかに発砲した弾数が装填数より、多い気が…)
我に帰り、恐ろしくなった彼は走ってその場を逃げ出します。すると翌日、その事件のことが新聞に取り上げられ、更には殺されたサラリーマン達が街の上層階級のエリート達だった事から、一部からは犯人を称賛する声すら上がっているという記事になっていました。
それを観た彼は「今まで、何とも思われてなかった俺が初めて注目されてる!」と元気付けられます。
さらに、彼の住むアパートのお隣さんの女性が自分のジョークで笑ってくれ、嬉しさのあまり彼女を尾行するのですが、それがバレてしまいます。でも、彼女はそれを笑って、アーサーを
「面白い人」と言ってくれるのです。
この言葉こそ、彼が求めていた言葉!
そこからは彼女といい感じになり、自分が出演するライブでも観客にネタが受け絶好調!!
良かったね!アーサー!闇落ちせずに済む!
とはいかず…
その後、彼は母親から自分の父親が街1番の実業家であるウェインである事実を知り、彼に接近するのですが、
ウェインからは
「お前は息子ではない」「お前の母親はイカレ野郎だ」とバッサリ………
(この途中で将来のバットマンであうブルースと出会うシーンがあるのだけど………)
さらには電車での殺しの件で警察が家に来てしまったりと、事態はまた悪い方向へ…
しまいには母親まで倒れ、最早心の支えはコメディアンへの夢と優しい彼女だけ……
ここからネタバレ注意
(ネタバレ知っても楽しめるのでいい人は是非読んで)
その後、アーサーは母親が過去に精神病院に居たという情報を得て、アーカム精神病院にその理由を探りにいきます。
そこで、彼は自分が養子であり、本当にウェイン家とは何の関係もない人間である事、さらには母親からネグレクトを受けており、元旦那の虐待によって自分が受けた外傷によって笑い病を患った事を知ります。
あぁ可哀想なアーサー……
ここから彼の狂行が再興します。
家に帰った彼は他人の部屋に侵入し、テーブルの上の玩具を弄ります。そこに家主が戻ってきて、彼の顔を見て唖然。
そう、その部屋は彼のジョークを笑ってくれたあの彼女の部屋なのです。
あれ?でも彼女とアーサーは親しくなかった?
いいえ、彼女との思い出は全て彼の妄想です。
さらにシーンは飛んで、母親を失った彼を心配して、自宅に元同僚達がやって来ます。
その中には彼に拳銃を渡し、陰謀によってクビに仕向けたあの男が!
アーサーはこの恨み!と言わんばかりにハサミで滅多刺しにして彼を殺害します!!
(ここもよく考えるとおかしな話で、自分を嵌めた相手が自分の家に心配してくるか????)
あぁついに一線を超えた!
白塗りのフェイスに返り血のアクセントを添えたピエロ姿の『ジョーカー』は彼の殺しを目の当たりにして狼狽るもう1人の元同僚にこう言います。
「俺、テレビのコメディショーに出演するんだ」
そう、彼は数日前にテレビのオファーを受けていたのです。
テレビ出演当日、メイクをして、スーツも着こなし、おかしなダンスもバッチリ決め、心身ともに『ジョーカー』になった彼は、電車の殺人事件の件で追って来た警察とチェイスしながらテレビ局に向かいます。
道中、彼の殺しに感化された、ピエロマスク集団が行うデモの混乱を利用し、警察を振り切ります。
そして彼はスタジオに到着。
司会のロバートデニーロ(このキャスティングは絶対タクシードライバーとキングオブコメディへのリスペクト)は彼のピエロメイクを見てギョッとします。
「まさかデモの参加者じゃないよな?」
するとジョーカーは
「政治に興味はないので」
ここで覚えといて欲しいのが、アーサーは全編を通して、別に政治に対する不満や金持ちに対する怒りを持っていないという点です。
(個人間での怒りはあるにしろ)
そして始まる生放送(幕開けの演出最高)
あれ?念願のテレビ出演なのにジョーカーはあんまり嬉しくなさそう。
実は彼の出演は「最近話題のおかしな滑り芸コメディアン」として、さらには彼もそれに気付いていたのです。では何故出演したのか???
司会者とのやり取りの中で、ジョーカーは1つのジョークを披露します。しかし、その下品なジョークはあまりウケず…
その後、もう一つと彼が話し始めるジョークは「電車で2人男を殺した」と言うもので、笑えるどころか会場ドン引き。何故ならそれは最早ジョークではなく彼の告白だからです。
そこからは事態を危うんだ司会者とジョーカーの問答が続き、最終的にジョーカーは自分を「笑い者」にした司会者を射殺。
混乱するスタジオをのカメラに向かって番組の決め台詞「コレが人生」
もうそこからは全てがカオス
祭り上げられるジョーカー、街で広がる暴動、パトカーに突っ込む暴徒達、秩序なんてクソ食らえ!金持ちどもは殺せ!
街中の怒りが爆発!コレまで陰鬱とした展開が続いてていたのでここでめちゃくちゃカタルシスが得られます。
そして、怒りの矛先である上層階級のウェイン夫妻は暴徒に殺害され幼いブルースだけが残されます。(バットマンのオリジン)
(ここが原作の逆転構造になってる)
最終的にジョーカーは拘束され、精神病院送りにされます。
そして最後のシーン
カウンセリングを受けるジョーカー
突然笑い出します
「何がおかしいの?」とカウンセラー
「面白いジョークを思いついた」とジョーカー
「それを教えて」とカウンセラー
「あんたには理解できないさ」
このセリフの意味が分かりますか?
まず、ジョーカー(アーサー)についてもう一度考えてみましょう
この映画は基本的にずっと彼の主観で描かれます。
そして、最初で言ったように彼は間違いなく初めから狂人なのです。
笑い病というハンディキャップを差し引いても余りあるほどの常識のなさ。
さらには母親譲りの妄想癖。
(彼女のシーンはもちろん拳銃を受け取ったシーンも妄想と解釈できる)
しかし、この映画を観ると私達は至る所で彼に共感してしまいます。
それは彼が社会的弱者で、可哀想で哀れな夢見人であり、
私達と同じように見える
要素をいくつか持っているからです。
この映画を見て、「ジョーカーを狂わせたのは社会だ、コレは現代社会への批判だ」
という人がいるかもしれませんが、それは的外れな見方でしょう。
社会が彼を狂わせたのでも、彼が社会を狂わせたわけでもないからです。
何故なら彼が英雄視された要因は電車でエリートを射殺したからですが、彼の殺人に政治的意図はありません(劇中でも政治に興味は無いと断言している)単にムカついた。からです。
さらに、ジョーカーの素、彼の中の狂気が生まれた要因も母親のネグレクトからというよりは先天性のもの言った方が説明がつきます。
(「コレが自分だ」と自分で言ってるし)
ここまで彼のキャラクターを読み解くと大体分かると思いますが、彼はただの狂人で、「たまたま」彼がいる社会が腐敗しており、「たまたま」彼が殺した対象がヘイトを集めていた。
というだけの話を完全に彼の妄想が入り混じった、独りよがりの主観の映像で見せられる。
コレが
『ジョーカー』
という作品なのです。
しかし、我々は彼に共感してしまった、こんな狂人の主観の世界に!!!
我々はジョーカーの物語をみて彼と感情を共有し、彼に同情までしてしまった!!!
さぁ、ここで、最後の彼の台詞を振り返ります
「面白いジョークを思いついた」
(実は、ここの時系列をどこに置くかでこの映画自体が彼のジョークであると捉えることができる作りになっています)
でも…
「あんたには理解できない」
いいえ、私達は理解『してしまった』
それがこの映画の本質であり、ジョーカーの行動理念そのものであり、彼の、そして私達の狂気のオリジンなのです。
ちなみに、原作コミックでのジョーカーはバットマンに人々は皆自分のように狂気を内包しており、バットマンも例外では無いと主張しています。
それに対してバットマンは「違う、狂っているのはお前だけだ」と返しています。
果たして私達はそう言い切れるでしょうか??